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価値観

10人いれば10通りの吹き方があると思いますが・・・


それでも、まぁ普通「この曲だったらこう吹くよね?」っていうのが大体ある。短い音長い音関わらず。

クラシックだったら普通はこう、とか、スイングだったらこう。8で行くならこう、とか16だからこんな感じ、とか。

ヴィブラートを掛け過ぎるとチンドン屋さんみたいに感じる、とか。


でも、そういうのは本人の音楽の価値観次第。

どんなに変なニュアンスでも本人が「コレがイイと思うんだ!」って思っていたら変わらない。これは自分にもいつも自問自答しています。どういうのが「普通」なんかな?と。価値観が偏ってないか?と。


この「普通」が無いと何かの曲を「せーの」で合わすときにとんでもなくニュアンスが合わない。先ずは「普通」に吹いてから「うーん、ここはこうしよう」とか始めないと、ワヤクチャになることが多い。

その「普通」の価値観は色々な音楽を聴きこむことでしか養えない。録音されたものでもライブでもコンサートでも何でも良い。漫然と聞くんではなく、聴きこむ。

聴きこんだら今度は何度も練習。他の人の評価を頂いたり録音するとか、出来るだけ客観的に評価するようにする。


クラシックだけしか演奏していなかった頃、初めてコンボジャズを聞かされたとき「なんだ、かすれてて下手じゃん?」って思った自分が恥ずかしいです。

好き嫌いは別にして、定評のある演奏、名盤は数々在ります。それを聴きこむ。良いとされる演奏には何か共通項のようなものがある。それを実際の演奏にするとどういうことなのか?それを研究する。

「あ、これ好きだな」っていうものバカリ聞いていたんでは価値観が偏ると思うんです。だから聴きこむ。定評のある演奏を聴きこむ。そこから何か「普通」を読み取り、演奏する。


食べ物に似てませんかね?

「好きなもの」ばかり食べていては身体に悪い感じがしませんか?









音程感


うーん、難しい。


「高いよ」「低いよ」

って言っても判らない人には判らない。

判らない人はプレイバックを聞かせても判らない。よしんばプレイバックを聞いて判っても遅い。だってプレイバックだもの。


高い低いが演奏中分かってる人の音と分かってない人の音は、隣で聞いてると直ぐ分かる。分かってる人は演奏中も絶えず何処かに合わそうとしていて、かつ安定している。

分かってない人は絶えず虚ろな音程で、ちょっとした長い音でも変化して行っちゃう。それも多分判ってない。それが変だと思っていればそんな演奏はしないから。


演奏中「あれ?変くね?」

って思えれば「上げてみるか」「下げてみるか」で「あ、そうかぁ」って段々判ってくる。試行錯誤。だからパートは固定で本当は行きたい。誰しもが完璧な音程は持っていない。自分自身もそう。


では、どうすれば演奏中「変くね?」と思えるようになるか。

ある基準の音、ピアノでも何でもいい、その音に対して自分の音が高いか低いか、が判別できる能力が絶対必要。

チューナーなんか見ずに何かの音をピアノで弾いてもらって、同じ音を歌う・吹く。で、高いか低いかを自分で言う。ピアノ弾いてる人はチューナー見てもいいから、高いか低いかの正解を言う。

出来れば「どのくらい」高いのか低いのか言うようにする。これを繰り返すうちに段々判ってくることが多いようだ。


また、ある音に対して、せめて三度、四度くらいの上下の音程が歌えて吹ける能力も必要。

長三度上、ってことは引っ繰り返せば短六度下。短三度上ってことは、引っ繰り返せば長六度下、なので長短三度が取れれば何となく取れる。

四度上ってことは五度下、五度上ってことは四度下。なのでコレも同じ。


後は、ナンチャラ7のコードが鳴ってる時にIIIの音が取れる(歌える)か?Vの音が取れる(歌える)か?VIIの音が取れる(歌える)か?てのも凄く大事。和声感ってことになるんだろうけど。

誰かに何7を弾いてるか言わないで弾いてもらってIII当てクイズとかすればイイ。チョッとした時間に誰でも出来ると思う。


楽器を始めて数年、くらいの人は音を出すことだけで精一杯。

そんな人に判れ、と言っても無理で、先ずはシッカリと楽器を「鳴らす」感覚を身につけたほうが早く大体の音程に近づく。


けれども十年選手であれば、もう一歩先へ行きたい。




音のお尻


音には


アタマ

オナカ

オシリ

音-order


があるのです。

習字っていうか、筆で字を書くが如し、です。

太さを音量、上下を音程、と捉えても良いかもしれません。どんなに短い音にも速いフレーズにも、長い音にもゆっくりしたフレーズにも必ず在ります。

その組み合わせがニュアンスになり、グルーブにもなり、センスにもなり、アンサンブルの基本になるのです。きっと。

例えソロであってもホボ伴奏があります。無伴奏曲は楽器にも依りますが、少ない。ソロと言えども音楽である以上、アンサンブルなのです。


その辺のアンテナを、常に周りを聞く余裕を、集中力を絶やさないことが重要。


音の大きい、いわゆる電気バンドの中のホーンセクションであっても同じです。「バランスはエンジニアさんがやってくれんだろ?とにかく音出してればイイんじゃね?」的な捉え方では絶対に上手く吹けない。いかにPAと言えどもバランス取りきれないです。


フルバンドでは特に音のオシリの処理が重要に思えます。

出だしばかり気にしたような演奏ではだらしなく勝手気ままに演奏しているように聞こえるのです。音の終わりは休符の始まりであり、休符とは次の音のための「間」なのです。

休符が無くては音楽になりません。



あんまりfbにバカスカ書くのもアレなんでやっぱりこっちに。

oto001

耳は「聞く」ために存在してると思うのですよ。

自分の音や周りの音にみならず、人からのご意見も。


「自分はこういうスタイルなんだ!」

主張するのと、人の意見に耳を傾け無いというのは意味が違う。そこは混同したくない。


とかくトランペットは高音や音量や耐久力が求められることが多いので、それらが出来る人がチヤホヤされがちですが、おごる事なかれと思います。それは音楽の一部でしか無いから。


主張することと人の意見を受け入れないことを混同していると、趣向や志向が変な方向へ走りがち。それも個性のウチと言えなくもないのですが、たいてい人とアンサンブルすることが苦手。音楽の流れを読めない。アンサンブルの方向性を読み取ってスタイルを変えられない。

高音が出るだけで音程も音質もタイムもニュアンスもへったくれも無いような演奏は音楽って言えないす。それ、奏法を試してるだけ。

「ソロ志向ならいいんじゃない?」て意見もあるけど、ソロったって無伴奏ってことはまず無い訳で。普段から音程もなんもないような音で吹いてたら、ソロだって全然ダメでしょうねぇ。


耳は「聞く」ために存在してると思うのですよ、やはり。


 © WAO 2012